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空と海の間に




映画パンフレット(B5)
 
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原作本(三笠書房)


   
 映画パンフレットより         映画パンフレットより


原 題:Si Tous Les Gars Du Monde
製 作 国:フランス
製 作 年:1955年(S30)
配    給:東和
上映時間:1時間52分
  文部省特選  優秀映画観賞会特薦
  東京都教育庁教育映画等審査会特選  日本アマチュア無線連盟推薦

スタッフ
監督:クリスチャン・ジャック
原作:ジャック・レミー
脚本:アンリ・ジョルジュ・クルーゾー、 クリスチャン・ジャック
       ジャン・フェリー、 ジェローム・ジェロニミ、 ジャック・レミー
撮影:アルマン・ティラール
音楽:ジョルジュ・ヴァン・パリス

出演者
アンドレ・ヴァルミー、 ジャン・ガヴァン
トランティニャン、 エレーヌ・ペルドリエール
ジョルジュ・プージュリー、 ベルナール・デラン

ストーリー
 全世界には、二十万からの熱心なアマチュア技士がいて短波で、海と陸を越えて通信している。短波は気紛れで、ときに、遥か遠隔の地で受信されていることがある。かくて、日夜耳をている彼らに、時として、悲報が伝えられることもある。

 ノールウェイの沿岸から最短二日の北氷洋上に一艘の漁船が出漁していた。フランス、ブルターニュ半島の漁港コンカルノオのトロール船「リュテル」号である。ル・ゲレックという中年の船長をはじめとして、乗組員は十二名の漁夫。いずれも話題にのぼったことのない平凡な人々であった。
 ところが、この船の漁夫の一人がが突然、奇妙な病気になった。引き続いて、また一人が倒れた。勿論、船には医者などいよう筈はなかった。早速、船長は無線で各地に呼びかけたが、病因とその手当てを知ろうとしたが、どこからも応答はなかった。無線機が故障していたのである。そのうちに、バタバタと漁夫たちは倒れて、今では、船長とアラビヤ人のモハメッドを除いて他の者はみんな息も絶え絶えにベッドに横たわるという始末だった。
 船に悪魔がとりついたのだ──ジョズは、それを船で唯一の異邦人モハメッドのせいにした。
 ところが、船長はアマチュアの技士で船内にもその機械を据えていた。その短波で呼びかけてみれば、どこかしらのアマチュアが応答してくれるかもしれない。それだけが、今では、船の人々を救う唯一のチャンスとなった。
 リュテス号から何千キロも離れたアフリカのトゴの土人部落で、「パリ物産館」を経営している白人のアルベルドがそれを受信したのである。彼は早速、小学校の教師に頼んで、本式のアンテナを立てると共に、駐在官の世話で、ジャングルを回診していたジェグウ軍医を呼んで来て、危機に瀕したとリュテス号と連絡を取った。軍医と船長のアマチュア無線稀による問答で、病気はハム中毒だと分かった。
 リュテス号では、ただ一人のアラビア人モハメッドを除いて、全員がそのハムを食べていたのである。回教徒のモハメッドだけがそれをを食べなかったのを目の敵にしていた二等運転士のジョズは、あくまでもモハメッドを厄病神だとして殴りつけたりした。
 今は夜の七時四十分である。翌朝の八時までに注射しなければ全員助からない。あと十二時間しかない。しかもハム中毒の血清はパリのパスツール研究所だけにしかない。
 軍医は船を現在位置に停止しておくように命じて早速、無線でパリを呼び出した。これを受けたのがアマチュア無線の大ファンで、十八歳になるジャン・ルイだった。彼はアフリカの軍医の指示に従って、早速、クリシイ街に住む軍医の先輩ラルゴー医師の宅へ飛ばした。だが、憂いに沈むクリスチーヌ夫人を残して、一週間前にラルゴー医師は他界していた。自分の嘆きだけで一杯だったクリスチーヌは他人を救うどころではないと、はじめ、それをはねつけたが、ジャン・ルイの熱心さにほだされて、遂に、彼と共にパスツール研究所に赴き、血清を手に入れた。
 二人はすぐその足でナルリー飛行場へかけつけた。だが、冷酷な規則はおいそれと血清を運んでくれなかった。そのうちに、もう北方へ飛ぶ飛行機はなくなった。そして、ル・ブールジュ飛行場からは、まだミュンヘン行の飛行機があると知らされた。
 ジャン・ルイはわが家に飛んで帰って、ミュンヘンを呼び出した。ミュンヘンにもアマチュア無線のファンはいた。戦争で盲目となったカルルと呼ばれる中老の男が受信したのである。
 だが、一方で、クリスチーヌがブールジュ飛行場に馳せつれたときは、ミュンヘン行は既に出発していた。だが血清はベルリンへ飛ぶポーランド機のスチュワデスに託すことが出来た。
 ミュンヘンのカルルは、杖を頼りに飛行場へ行ってみたがパリから来た飛行機は血清を積んでいなかった。クリスチーヌからその事を聞き知ったジャン・ルイが再びミュンヘンを呼び出した頃は、もう夜半の二時を過ぎていた。盲人のカルルはアメリカ病院に勤めている娘の手をかりて、ベルリンのアメリカ空軍に、電話で事情を話した。米空軍のミッチ軍曹は、ソ連地区へ深夜侵入して、ポーランド機のスチュワーデスから受け取るには受け取ったが、その帰路、ソ連の歩哨に捕われてしまった。
 ミッチがソ連の大尉に熱心に説いたかいあって、大尉も了解した。だが、血清は返してくれなかった。
 ─飛行機はソ連にだってありますぞ
 かくして血清はソ連機でコペンハーゲンまで送られ、コペンハヘゲンからはフランス機でオスロまで飛んだ。オスロからノールウェイ機が現場まで飛ぶ事になった。
 その旨が、ベルリンからミュンヘンへ、ミュンヘンからパリへ、パリからアフリカへ、そこからリュテル号へリレーとして伝えられたが、その頃、船では、もう船長まで中毒に犯されて、倒れていた。最後まで残った二等運転士のジョズが船を動かした。商船の航路まで出たら助かる見込みが強いからとの独断からであった。気息々としていた船長に、最後の一本のカンフル注射をしたとき、僅かに元気ずいた船長が船を停めろと命じた。
 北氷洋の海上に世界と全く隔絶されたリュテス号は、刻々と迫る死を眼前にする人々を乗せたまま漂っていた。
 このころになって、はじめて、各無線局が動き出した。英国でも、フランスでも、ほかの電波を制限して、リュテル号の捜査に全力をつくしはじめた。
 ノールウェイ機が血清ほ積んで飛び立つた。最後まで元気なジョズがおぼつかない手つきで無線機を操作した。そして遂にノールウェイ機と連絡がとれた。
 雲が低かった。視界はきかなかった。ノールウェイ機は、百米の低空にまで突込んで、船の上空をかすめ飛んだ。
 血清は投下され、船から少し離れた海中に落ちた。その時、勇躍、身も凍る海中に飛び込んだのは、一人だけハムを食わなかった回教徒のモハメッドだった。

 人々の連帯責任は無益でなかった。一週間後、コンカルノオは全港をあげて、リュテス号の帰りを歓迎していた。コンカルノオは全港をあげて、リュテス号の帰りを歓迎していた。ラジオがその状況を世界に放送している。アフリカでも、ミュンヘンでも、ベルリンでも、十二名の漁夫を救った人々が、感激に胸おどらせて、それを聞いる。
 ─ただ一夜のうちに、この善意の鎖を結ぶために、手を握り合った世界の人々に感謝を捧げますとアナウンサーは叫んでいた。

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