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国産無線機の歴史
ハム再開
初級ハム誕生
初級ハムに21/28Mc帯解放
SSB機の登場
ポータブル機登場


国産無線機の歴史


ハム再開

 第二次世界大戦が終わったのが昭和20年8月(1945)、それまで禁止されていた短波の受信が、許可制ながらやっと許され、SWLが再び始まりました。
 昭和21年8月(1946) 再開されたJARL(日本アマチュア無線聯盟)設立総会が開かれたのはこの頃でした。
 昭和22年(1947) この頃から東京・神田駅から小川町にかけてラジオ部品専門の露店が軒を並べ、米進駐軍から手に入れた"アメ球"と称する真空管を売る店が出現していました。
 昭和25年8月(1950) コイルの富士製作所、スイッチとバリコンの片岡電気(アルプス=現アルパイン)、ダイアルの東洋電気の3社合同でRF1段、IF2段、GT管9球通信型受信機キットS-50Aが発売されました。この年の6月1日、電波法が施行されこの日を記念して「電波の日」が設けられた。
 昭和26年6月(1951) 第1回の国家試験が実施され、1級47名、2級59名合格しました。
 昭和27年7月(1952) 30局に予備免許が発給され、ハムが再開しました。
当時は国産メーカー製の送信機や受信機はほとんど無く、米進駐軍の放出した通信型受信機、コリンズ、ハリクラフタ、ハマーランドなどをトヨムラ電気商会(現トヨムラ)、三協特殊無線などから購入し、送信機は自作した機械を使用したものでした。民間ラジオ放送が開始されたのもこの年でした。国産メーカー製の受信機として初めてキットで発売されたのが、スターチャンピョンS-51A(富士製作所=スター=後に通信機部門だけ八重洲無線が買収)でした。鉄製の筐体で、丸形のダイアルと、長方形のバンドスプレッドの窓が付いていて、デザインはハリクラフタS-40によく似ていました。6R-S(春日無線工業=トリオ=現ケンウッド)RFなしIF1段6球4バンド受信機が発売されています。
 昭和28年(1953) 測定器メーカーの菊水電波(現=菊水電子工業)から受信機のキット、スカイシスターS-53 RF1段IF2段11球4バンドスーパーと、その下位機種として6球スーパー、スカイベビー S-38を発売。スカイクイン S-42というのもありました。デリカ(三田無線)からは、CS-6 RFなしIF1段4バンドなどのキットが続々世に送り出されてきました。CS-6のデザインもハリクラフタS-38に良く似ていたものでした。NHKテレビ本放送が開始されたのはこの年です。
 昭和29年(1954) 9R-42が春日無線工業からRF1段、IF2段、9球受信機キット13,500円で発売になりました。
 昭和30年(1955) 国産メーカー製初の送信機TX-1(春日無線工業)がキットで発売になりました。3.5Mc帯と7Mc帯の2バンドで、終段に807という真空管を使った10W出力のものでした。終段コイル、RFチョークコイルなどをハンダ付けするだけで完成するというものでしたが、当時の金額で13,500円と大変高いものでした。 同じ年に、9R-4J(春日無線工業)という受信機のキットも発売されています。RF1段、IF2段9段4バンドスーパーで、ハム用標準タイプとなりました。
 昭和31年(1956) 807という名前の送信機、変調器、電源がセパレート式になったものが、デリカ(三田無線)から発売になりました。3.5Mc帯と7Mc帯の2バンドで、終段が807、1本の電力増幅器に、変調器807ハイシングの10W機でした。終段に832Aを使った50Mc帯と144Mc帯2バンドの送信機キットがVHFという名前でデリカ(三田無線)から5,900円で発売されました。当時、VHFの送信機を製作するには、高度な知識と技術が必要とされていましたから、大変話題になったものでした。電源、変調部は、自分で持っているHFの送信機と共用するようになっていました。なお三田無線では、スケルトン”骨格”送信機と呼んでいたようです。また、CS-7(三田無線)もこの年に発売になっています。CS-6をグレードアップし、丸形のSメーターを装備していました。
 昭和32年(1957) 珍しいところで、TXH-1(山七商店)3.5Mc帯、7Mc帯2バンド6球送信機と、TXV-1A(山七商店)50Mc6球送信機が発売になっています。山七商店は、タイト製のミゼットバリコンやRFCバリコンを製造していた会社です。
 昭和33年(1958) 9R-42J(春日無線工業)受信機、FB-73(ジェレクトロ)RF1段、IF2段9球4バンドスーパーなどの受信機、STM-406(三和無線測器)3.5Mc〜28Mc帯送信機、コスミックNT-101(日本通機工業)3.5Mc〜28Mc帯送信機など、この年から新しく参入してくるメーカーが増えてきました。


初級ハム誕生

 昭和34年(1959) 初めての電信級、電話級のアマチュア無線技士国家試験が実施され、飛躍的にハムが増加することになりました。この時期に合わせて発売されたのが、TX-88(春日無線工業)で、当時としては、大変ヒットした送信機のセミキットとなりました。終段に6AR5を1本使用し、πマッチ整合の本格的な設計になっていました。ジェレクトロからSWL-59(受信機) QRP-16、QRP-40、QRP-12の3.5Mc帯、7Mc帯の送信機が発売され、型名がそれぞれの出力になっています。この頃、ジェレクトロはエアーダックス・コイルという中空のコイルを販売していた会社でした。SSX-5(榛名通信機工業)、TU-591A(和光通信機)受信機、湘南高周波から終段5763の50Mc帯送信機キット TXV-10N、VT-357(大栄電機)3.5Mc帯〜28Mc帯送信機、TXN-701A(東京電機工業)3.5Mc〜14Mc帯電信用送信機、三電機からは3.5/7Mc帯トランシーバー QTR-7が登場しました。
 昭和35年(1960) NHK教育テレビで「たのしいアマチュア無線講座」が30分の放送で開始されました。TNX-7015(東京電機工業)3.5Mc帯、7Mc帯送信機、6TS-8A(高橋製作所)50Mc帯送信機など一機種だけしか発売しなかったメーカーもありました。八重洲無線から初のSSBジェネレーターA型が発売されました。この年発売された受信機に9R-59(トリオ)があります。メインチューニングとバンドスプレッドを2段に配した横行ダイヤル、選択度を向上させるためQマルチプライヤーを装備したRF1段IF2段9球4バンドの本格的受信機で、その後、約5年の間ロングセラーを続けました。その間、社名も春日無線工業からトリオと変わっていきました。江角電波研究所からは50MHz 1W ポータブルトランシーバーの RT-1 が発売されています。


初級ハムに21/28Mc帯解放

 昭和36年(1961) 新2級ハムに14Mcを含む全バンドが、初級ハムに21Mc帯と28Mc帯のバンドが解放されました。この年には、KR-306(神戸電波)RF1段IF1段受信機、KT-606(神戸電波)3.5Mc帯〜28Mc帯送信機、KT-405(神戸電波)3.5Mc、7Mc帯送信機、KH-206(神戸電波)50Mc送信機、CRV-1(松下通信器)RF1段IF2段9球受信機、NS-73B(西村通信機)RF1段IF2段、10球受信機、TEC-6(トヨムラ電気商会=トヨムラ)50Mc送信機、TEC-2(トヨムラ電気商会=トヨムラ)144Mc送信機、TM-407(三和無線測器)3.5Mc帯〜28Mc帯VFO内蔵送信機、NR-408(三和無線測器)3.5Mc帯〜28Mc帯受信機、そしてTX-88A(トリオ)3.5Mc帯〜50Mc帯送信機の登場となる訳ですが、前の年発売された9R-59とマッチしたデザインで、ハムのモデルリグとなったものです。また、谷電気から3.5/7Mc送信機がでました。谷さんは後にトヨムラに入社し50Mcのアンテナ"スケアロー"TSQ-6を開発しました。


SSB機の登場

 昭和37年(1962) SSBジェネレーターを昭和35年から販売していた八重洲無線からFL-20 3.5Mc帯〜28Mc帯10W SSB送信機が49,800円で販売されましたが、当時はまだSSBの局が少なくSSBの電波を復調できる受信機もほとんどないためにQSOの相手を探すのが大変なときでした。T-1(桜屋)3.5Mc帯〜50Mc帯送信機、R-1(桜屋)3.5Mc帯〜50Mc帯受信機、NR-409(三和無線測器)3.5Mc帯〜28Mc帯受信機、ST-1B(三田無線)3.Mc帯〜28Mc帯VFO内蔵送信機、QRP-90(トヨムラ電気商会)3.5Mc帯〜50Mc帯送信機などのAM機が続々と発売されていきました。
 昭和38年(1963) FL-10/40(八重洲無線)7Mc帯シングルSSB 10W送信機が29,000円で発売され、本格的なSSBの時代を迎えることになりました。NT-201(日本通信工業)3.5Mc〜28Mc帯送信機、NE-73S(西村通信機)、NT-110(太陽無線技術研究所)、R-100(スター)、SR-40(スター)、SR-500(スター)、1KHz 直読トリプルスーパーのSR-600(スター)なども発売されました。トリオから3.5/7Mc帯AM/CW 10WトランシーバーTRH-1、50Mc帯/144Mc帯送信機 TX-26、50Mc受信可能な受信機 JR-60、三田無線からVFO内蔵3.5〜28Nc帯送信機 ST-1Bも発売されています。
 昭和39年(1964) 430〜440Mcがハムへ許可になりました。SX-501(クラニシ計測研究所)3.5Mc〜28Mcの送信機を発売してきた。今でも十分通用するFL-100B(送信機)、FR-100B(受信機)のラインが八重洲無線から発売されています。FDAM-1(井上電機製作所=現アイコム)オール・トランジスタを使用した50Mc AMトランシーバーが25,000円で発売されました。50Mc帯モービル用FMトランシーバー FM-50(福山電機工業)が登場。
 昭和40年(1965) トリオから初のSSB送信機キットTX-388Sが登場、JR-300S型受信機(トリオ)、KSX-201(クラニシ計測研究所=クラニシ)、SH-100(フロンティア)、など各社から相次いでSSBのセットが発売され、AMの時代からSSBの時代へ移って行くのです。
 昭和41年(1966) SSB通信も本格化し、送信機、受信機が各社から売り出され、その多くはフィルター方式でしたがPSN方式のものも実験され、FT-100型(八重洲無線)トランシーバーを発表した。国内需要はまだと見て、もっぱら輸出に精を出し海外でその名を高めました。八重洲無線では、同年4月セパレートタイプの小出力機FL-50型送信機を、8月にFR-50型受信機の普及型を発表、10月にトリオからTS-500が発表されました。TX-88A、9R-59の後継機としてTX-88D、9R-59DのいわゆるDラインがトリオから発売されました。また、フローティング・キャリア変調で、3.5〜50MHz AM/CW 10WのQRP TWENTY(トヨムラ)も発売されました。
 この年、JARLの養成課程講習会が始まり、多くの人達が電気の専門知識を持たなくても電信級、電話級のハムになれるようになりました。


ポータブル機登場

 太陽黒点指数が上昇(サイクル20)に伴って、各社から50MHzの送信機、受信機が発売されるようになってきました。この年、50MHz 1Wのポータブル・トランシーバーTR-1000登場、送信機のキットTX-88D、受信機周キット9R-59Dがトリオから登場しました。波数の単位も、それまでのサイクル(kc、Mc)から現在使用しているヘルツ(kHz、MHz)に変わり始めました。
 昭和42年(1967) トリオから500ラインとしてJR-500受信機と組み合わせるPSNタイプのSSBモノバンド送信機 TX-15S(21MHz)、TX-20S(14MHz)、TX-40S(7MHz)が発売されました。それまでVHF機メーカーであったと思われていた井上電機製作所からソリッドステート化したIC-700T(送信機、ファイナルのみ真空管)、IC-700R(受信機)が、スターからはHF帯SSB送信機ST-700、泉工業から3.5〜14MHz帯SSBトランシーバー22-TRが登場しました。また、日新電子から"パナ6"の愛称で親しまれた50MHz帯AMトランシーバーPANASKY MARK6が、三協電機から"HAMY HUNTEY"の愛称で親しまれた50MHz帯AMトランシーバーSC-62、鈴木電機から50MHz FM 10W AFR-6B、三協特殊無線から50MHz FM 5W FRT-605が登場しました。
 昭和43年(1968) トリオからHF帯トランシーバーTS-510、井上電機製作所からVFO搭載トランシーバーFDAM-3、極東電子から50MHz FMトランシーバー FM50-10C、杉原商会から144MHz SSBトランシーバー SS-2、ハムセンターから50MHz FMトランシーバー MERITI 50、国際電気から144MHz FMトランシーバーSine 2などが発売されました。
 昭和44年(1969) スバル電機からHFトランシーバー3SB-1、トリオから50MHz帯対応送信機TX-310、受信機JR-310、50MHz帯トランシーバーTR-5100、、井上電機製作所から50MHz帯トランシーバーIC-71が発売されました。
 昭和45年(1970) 八重洲無線から名器とうたわれたFT-101が発売。新日本電気から周波数シンセサイザー方式の50MHzポータブ機CQ-P7100、ハムセンターからMERIT-8S、フロンティアエレクトリックからDIGITAL500、協和通信機製作所から50MHzポータブル機ECHO-6が発売されました。また、日新電子から"パナ6"の愛称で親しまれた50MHz帯AMトランシーバーPANASKY MARK6がPANAの名称が松下電器の商標登録の侵害に当たるとしてSKYELITE 6として名称を変更して販売されました。
 昭和46年(1971) スタンダード工業からハンディ機144MHz FM 1W SR-C145、新日本電気から50MHz トランシーバー CQ-P7100A、ホーク電子から430MHz FM機 TRH-410Gが登場しました。
 昭和47年(1972) 井上電機製作所からPLLシンセサイザー144MHz帯モービル用トランシーバーIC-200、八重洲無線50NHz帯SSBトランシーバーFT-620、モーピルHFトランシーバーFT-75、日本電業から144MHz帯SSBトランシーバーLiner-2、スタンダードハンディ機430MHz SR-C430がそれぞれ発売されました。また、ケンクラフトから50MHz帯SSBトランシーバー・キットのQS-500も発売されました。
 昭和48年(1973) 松下電器産業が50MHzポータブ機 RJX-601、安藤電子工業から144MHzポータブ機 AS-1000-P1、八重洲無線144MHz機 SIGMASIZER-200、ベルテックから144MHz FM機 W5500、ゼネラルから144MHz FM機 GR-21
 昭和49年(1974) 日本電業 FS-1007P
 昭和50年(1975) アイコムからハンディ機IC-502
 昭和51年(1976) 八重洲無線FT-301
 昭和52年(1977) 日本電業Liner-70A
 昭和53年(1978) 日本無線 NSD-505()、NRD-505()
 昭和54年(1979) トリオ TS-770
 昭和55年(1980) アイコムからハンディ機IC-2N
 昭和56年(1981) アイコムからハンディ機IC-3N

 皆さんの知らなかったメーカー名やリグもたくさん出てきたのではないかと思いますが、幾つぐらいご存じだったでしょうか?このように歴史あるリグが時代と共にどんどん消えていってしまいますが、どうか、そんな国産のリグたちと身近にある方は、いつまでも大切に保存していただきたいと思います。

  富士製作所 S-51A


  菊水電波 S-53


  三田無線研究所 CS-6


  春日無線工業 TX-1


  春日無線工業 9R-4J


  三田無線研究所 VHF


  三田無線研究所 CS-7


  山七商店 TXH-1


  JELECTRO FB-73


  三和無線測器 STM-406


  日本通信機工業 NT-101


  和光通信製作所 TH-615


  JELECTRO SWL-59


  榛名通信機工業 SSX-5


  和光通信製作所 TU-591A


  大栄電気商会 VT-357


  江角電波研究所 RT-1


  神戸電波 KT-606


  八重洲無線 FL-20


    桜屋 R-1


  八重洲無線 FL-10/40


  西村通信機 NE-73S


 太陽無線技術研究所 NT-110


  トリオ TRH-1


  井上電機製作所 FDAM-1


  トヨムラ QRP TWENTY


  トリオ TR-1000


  スター ST-700


  泉工業 22-TR


  スバル電機 3SB-1